この壺は満杯か?
こんにちは
いつもブログを読んでいただきありがととうございます。
標題の件、すでに聞いたことがある方も見えると思います。この内容を読んで意味深い内容でしたので皆さんと共有できたらと思い投稿することにしました。
『この壺は満杯か?』ひろゆきも絶賛する人生の名言|元ネタや英語は? (myprivatecomedy.net)
以下「抜粋」です
『この壺は満杯か?』ひろゆきも絶賛する人生の名言|元ネタや英語は?
『この壺は満杯か?』という話をご存知ですか?
『この壺は満杯か?』という言葉を聞いてピンと来た人もいれば、頭の中にクエスチョンマークが浮かんだ人もいらっしゃるかと思います。
僕はあるアーティストがこの『この壺は満杯か?』の話を引用した歌詞を書いていて内容は知っていたのですが、このお話がなかなか有名な話であることは初めて知りました。
そのアーティストが考え付いた話だと思っていたので少なからずショックでもあったのですが(笑)
「この壺が満杯か?」がテーマになっている楽曲はこちら。
『この壺は満杯か?』の話が有名な話であることを知ったのは、ひろゆきこと西村博之さんの著書『1%の努力』を読んだのがきっかけでした。
この中で『人生において何を最優先させるかを一度じっくり考えた方がいい』というテーマがあり、その中でこの『この壺は満杯か?』の話が紹介されていました。
僕は知らなかったのですが「この壺は満杯か?」はネット上では有名な話だったようですね。
ご存じじゃない人も多くいらっしゃると思うので、まずは『この壺は満杯か?』の話をご紹介したいと思います。
僕としては目から鱗な内容でしたので、是非読んでみてください。
元々は英語なので、日本語訳になります。
『この壺は満杯か?』日本語訳
ある大学であったという授業。
教授は「クイズの時間だ」と言って、大きな壺を教壇に置いた。
その壺に教授は一つ一つ岩を詰めていきました。
岩で壺がいっぱいになると教授は生徒たちに尋ねました。
「この壺は満杯か?」
生徒たちはみんな「はい」と答えました。
教授は「本当かい?」と言いながら今度はバケツに入った砂利を持ちだしました。
その砂利を岩の詰まった壺に流し込み、ゆさゆさと壺を振って隙間を埋めていきました。
教授は再び生徒たちに尋ねました。
「この壺は満杯か?」
学生たちは答えられず黙っています。1人の生徒が「たぶん違う」と答えました。
教授は笑いながら「そうだ」と言い、今度は砂の入ったバケツを取り出しました。
そして岩と砂利の詰まった壺に、その砂をさらさらと流しこみました。
教授は再び質問します。
「この壺は満杯か?」
今度は生徒たちは声を揃えて「いや」と答えました。
すると教授は水差しを取り出して岩と砂利と砂の詰まった壺に水を流し込んでいきました。
壺の縁までなみなみと水を注いだ後に生徒たちに最後の質問を投げかけました。
「僕が何を言いたいのかわかるだろうか?」
1人の学生が手を挙げて答えました。
「どんなに忙しくてスケジュールが厳しい時でも、最大限に努力をすればいつでも予定を詰め込むことは可能だということです。」
教授はこの回答に「それは違う」と答えました。
「重要なポイントはそこではない。この例が私たちに示してくれる真実は、大きな岩を先に入れない限り、それが入る余地は、その後二度とないということなんだ」
君たちにとって「大きな岩とはなんだろう」と教授は話を続けました。
「それは志であったり、愛する人であったり、仕事であったり、家庭であったり、自分の夢であったり。ここで言う大きな岩とは君たちにとって一番大事なものだ。それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと君たちはそれを永遠に失う事になる。
もし君たちが小さな砂利や砂、つまり自分にとって重要性の低いものから壺を満たしていけば、君たちの人生は重要でない「何か」に満たされたものになるだろう。
そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果、それ自体を失うだろう。」
以上が「この壺は満杯か?」の話になります。
いかがでしょうか、結構ドキっとする内容だったのではないでしょうか。
どうでしたか「この壺は満杯か?」
おもしろかったですね。。。わたしは、間違えたら壺から入れた石を取り出し、再TRYすればいいのではと思いました。きっと時間は有限であるという前提だと思います。
JUN
PS:皆さんの心に平安が訪れますように。私の心にも!!
名鉄広見線に3月1日から現れた「いもむし」です。3600系の復刻判6000系です。かわいいでしょう。みどりいろのこの電車に出会えた人は幸せになれます。(3月1日 御嵩口駅⇒御嵩間)
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